天神さまと撫で牛

撫で牛

 御祭神・菅原道真公は、承和12年(845)に誕生されましたが、この年は乙丑(きのとうし)でありました。

 また、延喜3年にお亡くなりになりましたが、轜車(じしゃ)を「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との御遺言で、その場を墓所と定め、その場所が都府楼(太宰府の庁舎)の北東(丑寅)の方であったなど、多くの牛との関わりや伝承があり、天神さまには牛がつきものとなり、「神使(かみのみつかわしめ)」としてのつながりを持つようになり、撫で牛は御祭神とご参拝の方々をつなぐ大切な役割を果たしています。

 その他にも、「道真公の命日、延喜3年2月25日は丑年の丑の日であった」、「道真公が太宰府に左遷の折に、時平の命を受けた追手が道真公に斬りかかった際、荒れ狂った白牛が飛び出し、追手の腹を突き刺した。これにより白牛にお乗りになって、御心安らかに旅立たれた」という牛にまつわる逸話が多数存在し、道真公と牛との関係が非常に深いことから、全国の天満宮、天神社には撫で牛が祀られております。



天神さまと梅

天満宮の梅

 全国の天満宮の神紋(しんもん、神社の紋)が梅であるように、菅原道真公と梅には深いつながりがあります。

美しや 紅の色なる 梅の花
  あこが顔にも つけたくぞある

 道真公の幼名は「阿呼(あこ)」といい、5歳のとき庭に咲く紅梅を見て、その花びらで自分の頬を飾りたい、という思いでつくられた御歌です。

東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花
  あるじなしとて 春な忘れそ

 東風が吹いたら、香りをその風に託して太宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。

 太宰府への左遷が決まり、ご家族とも充分な別れも許されないまま京都を離れる際、ご自宅の梅の木に別れを告げる御歌です。後にその梅が太宰府のもとに飛んで行った、というお話もあります。(飛梅伝説)